2021年のNHKの大河ドラマ『青天を衝け』でも話題となっている渋沢栄一。
歴史の教科書でもお馴染みの人物ですが、中学高校あたりの授業ではサラッと流してしまうことも多いのではないでしょうか?
そこで今回は、渋沢栄一がどんな人なのかについて歴史が苦手な人でもわかりやすく簡単にご紹介します!
渋沢栄一のプロフィール
ここで渋沢栄一の基本情報をご紹介します。
名前:澁澤榮一(旧字体)
生年月日:1840年3月16日(天保11年2月13日)
死没日:1931年(昭和6年)11月11日(91歳没)
出身地:現在の埼玉県深谷市
渋沢栄一は、徳川15代将軍である慶喜の家臣を経て、大蔵省(現:財務省)の官僚になりました。
官僚を退任した後は、実業家として数々の実績をあげました。
渋沢栄一は、この当時で91歳まで生きたということで、かなり長生きだったことがわかりますね。
渋沢栄一の功績
渋沢栄一は、よく『資本主義の父』と呼ばれています。
その理由には、実業家として日本有数の企業の創立に携わっていたからです。
ここからは、渋沢栄一がどんな人なのかについて大きく関わってくる、彼の功績についてご紹介します。
現在のみずほ銀行の創業に携わる
現在のみずほ銀行は、元は第一勧業銀行という名前で、その前は第一国立銀行という行名です。
渋沢栄一は、井上馨らと共に日本で最初の銀行として第一国立銀行の創業に尽力しました。
また、銀行という点では、現在の埼玉りそな銀行の元となる黒須銀行の設立にも携わりました。
渋沢栄一がどんな人なのかという点で、現在の金融の大きな流れを作った人物だと言っても過言ではないことがわかりますね。
現在の日本の製紙業の礎を作った
渋沢栄一は、1873年に抄紙会社の設立の認可を受けて経営に携わりました。
この抄紙会社は、後に王子ホールディングスと日本製紙という日本の製紙会社となりました。
ティッシュにトイレットペーパーから始まり、紙幣や新聞など私たちの生活から切り離すことができない『紙』。
渋沢栄一が製紙業に携わることがなかったら、現在の日本の生活はまた違っていたのかもしれないですね!
製紙業と関連するところでは、渋沢栄一は現在の大日本印刷の創立にも関わっています。
現在の都市ガスの計画に携わる
1873年、渋沢栄一は瓦斯掛の委員となり、東京の都市ガス事業に携わりました。
この瓦斯掛はのちに東京ガスとなり、現在の首都圏の都市ガスの大部分を担っています。
街中にガスが行き渡る様になると、ガス灯で夜でも街は明るくなり、家庭では炊事家事の負担が軽減されました。
渋沢栄一がどんな人なのかという点において、現代日本におけるライフラインの発展に大きく貢献した人物と言えるでしょう。
また、ライフラインという面では渋沢栄一は現在の東京電力の創立にも携わっています。
数々の鉄道会社の創立に関わる
渋沢栄一は、1881年に日本鉄道会社の創立に携わりました。
日本鉄道会社というのは、現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)にあたり、日本初の私鉄会社となりました。
日本鉄道が運行していた路線は、現在の高崎線、常磐線、東北本線などでした。
また、渋沢栄一は日本鉄道以外にも以下の鉄道会社・路線の設立に携わっています。
鉄道会社は現在の社名で記載します。
京阪電気鉄道
東急電鉄
秩父鉄道
JR鹿児島本線
他
以上のことから、渋沢栄一がどんな人なのかという点で、現在の日本の鉄道業の発展に大きく関わった人物であると言えますね!
また、運輸業に関連した事柄で、渋沢栄一は日本郵船の創立にも関わっています。
渋沢栄一は日本の交通・運輸の発展に大きく関わっていました。
その他
渋沢栄一は、他にも数々の日本企業の創立に携わっていました。
一例を挙げます。
なお、会社名は現在の社名となっています。
帝国ホテル
太平洋セメント
清水建設
サッポロホールディングス
日本経済新聞
川崎重工業
東宝
大成建設
こちらに挙げたのはほんの一部で、他にもまだまだたくさんの企業があります。
渋沢栄一が創立に携わった企業は他種にわたり、現在でも第一線で日本の経済を動かしている企業がほとんどです。
経済の状況は行政にも関わってきます。
このようなことから、渋沢栄一がいなかったら近代の日本の経済だけではなく、行政の面でも大きく変わっていた可能性が高いでしょう。
渋沢栄一のゆかりの地
ここからは、渋沢栄一のゆかりの地をご紹介します。
JR深谷駅
埼玉県にある深谷駅は、渋沢栄一と関連した場所です。
深谷駅
住所:〒366-0824 埼玉県深谷市西島町1丁目1
この深谷駅は東京駅とよく似た建物です。
東京駅の建設時に使われた煉瓦は、渋沢栄一が創業に携わった日本煉瓦で製造されたものを使用しています。
渋沢栄一が埼玉県深谷市出身ということで、渋沢栄一が関わっている東京駅の建物を深谷駅のモチーフにしたということでした。
飛鳥山
東京都北区の飛鳥山は渋沢栄一と関わりがある場所で、数々の記念館などがあります。
渋沢栄一旧飛鳥山邸
住所: 〒114-0024 東京都北区西ケ原2−16
しかし晩年は飛鳥山の別邸を本邸として、余生を過ごしたそうです。
渋沢栄一は、東京都北区の飛鳥山に別邸として邸宅を構えました。
広い庭園に囲まれた邸宅で、渋沢栄一は91年の人生を全うしたのでした。
旧渋沢邸 中の家
埼玉県深谷市にある旧渋沢邸は、渋沢栄一の生誕地に建っている家です。
旧渋沢邸 中の家
住所:〒366-0006 埼玉県深谷市血洗島247−1
旧渋沢邸中の家は、渋沢栄一の生誕地に妹が後から家を建てて、渋沢栄一も足繁く通った場所です。
家の中には渋沢栄一のアンドロイドが展示されています。
すごくリアルなアンドロイドですね!
渋沢栄一を演じた吉沢亮さんが挨拶していて、何とも面白い写真となっています。
アンドロイドの展示は令和3年12月までの期間限定なので、興味がある人はお早めの来場をお勧めします!
まとめ
今回は、2021年の大河ドラマで話題となり、2024年には新一万円札の肖像となる渋沢栄一についてどんな人なのかをわかりやすくまとめてみました!
調べてみた結果、渋沢栄一は近代日本の発展になくてはならない人物であることがわかりました。
また、現代の日本が多方面において便利であることも渋沢栄一の功績が大きく関わっています。
ちなみに、今回ご紹介した深谷駅は高崎線の駅です。
高崎線も開業には渋沢栄一が大きく関わっていますので、足跡を辿るだけで渋沢栄一の功績に触れることができます。
新型コロナ禍が落ち着いて、自由にお出かけや旅行ができるようになったら渋沢栄一の足跡を辿ってみるのもとても楽しいかもしれませんね!
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